小諸 里山の愉しみ

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2009年 10月 28日 ( 1 )


2009年 10月 28日

『パパラギ』(其の二)

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この本、1920年刊行ですから、第一次世界大戦の講和条約も済んだばかりの植民地主義全盛時代です。そんな時代に南海の酋長ツイアビなる人物が、ヨーロッパを旅して回って、それに基づく見解をその配下の草民に語るという構成自体が荒唐無稽ですが、そんな虚構にお構いなくこの本が愛されて来たのは、その「ツイアビ」の口から語られる「文明」への本質的な批評精神によるものでしょう。だからこの『パパラギ』はいつまでも新しい!
例えば、ツイアビはこう語ります。「パパラギ(白人)は『ひまがない、ひまがない』と言うが、誰にも今まで、今も、これからもあるのは、日が昇っては上がり、沈む昼間があり、一晩東から西に巡る月があるだけだ、と」。ただしこれは意訳ですが。
さて、例えば社会学者のエーリッヒ・フロムというひとは、現代のことばは所有のことばになっているということを指摘しましたが、「時間がない」という言い方はまさに所有観念にもとづく言い方ですね。考えてみれば確かに時間自体を所有出来るはずがない。では、なんで自分はそういう言い方を、普段当たり前と思って使ってるんだろう??と思わされてしまうんですね、このツイアビのことばには。
さて、最後に一言。すろうりいは独逸語を解さず、その原文の趣きは分からないのですが、それにもかかわらずなぜか自信を持って言えますのは、岡崎照男さんのこの訳です。ずばり!名訳です。(よだ ついあびにあいたい すろうりい記す)  

by satoyama-06 | 2009-10-28 10:29 | 読書・書籍