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2010年 07月 30日

「わにわに歴史伝」

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photo by T kent
どくしょ森の夏男、黒潮洗う房州千葉千倉から山口マオがやって来た!
これは先日、マオさんがどくしょ森から程遠からぬ佐久市の岸野保育園にやってきて、こどもたちの歌う「わにわにの歌」を始めいろいろな歌に合わせてペインティングしている圖です。全国の保育園・幼稚園児でおそらく「わにわに」君を知らない子はいない!と断言してもいいでしょうが、その「わにわに」が目の前で現れてくるのですから、これは、この光景を「目撃」している子たちにとってはすごい!!!ことに違いありません。ひょっとしたら一生の思い出の一つになるくらい!?
その山口マオさんの個展「わにわに歴史伝」と「ロバと猫の小品展」が始まりました。豪華出品者リストは当HPでご覧下さい。小品と言えどもグレードの高い、味わい深い佳品が勢揃いです。マオさんの個展のグレードとボリュームのたっぷりさは、まあ、観てのお楽しみ!ってところです。
ところで「わにわに歴史伝」のネーミングのどこかにふっと今年のすろうりぃのこだわりを感じませんか?えへへ。

さて、もう一つの「ところで」ですが、当ブログ、昨年同様すろうりぃがアップする記事としましてはしばらく夏休みを頂きます。あのう、べつに〜桑田さんみたいにどこか調子が悪いとかではないんですよ。心配しないでよ〜、イエぃ!(まあ、だれも最初からぜんぜん気にしてませんね、はいはい。)
では、たぶんすろうりぃとしてはお盆あけに皆さんにお目にかかります。でもでも、きっときっとその間うちの美大生女子が楽しい記事を繋げてってくれているでしょうから、どうぞどうぞ時々でもご訪問下さい!(よだ なつやすみ すろうりぃ記す)

by satoyama-06 | 2010-07-30 21:45
2010年 07月 29日

「瀬戸内レポート」転載

先日「せとうち」のタイトルで、うちの美大生女子が瀬戸内の大島に田島征三さんの作品展示のお手伝いに行った記事をアップ致しました。その同じ内容を加筆補正して學校に提出したところ、これを同大学の芸術表現・アートプロデュース学科のHPにアップして下さいました。
たいへん嬉しく、感謝申し上げます。親父として嬉しい!誇らしい!と言うのではなくて、(でも1%くらいはあるかも。)この内容のレポートが広く読まれる機会をつくって下さったことについて。そしてみずからもこのレポートが広く読まれる価値があると信じましたがゆえに。
ブログの記事としてはショッキングというに近い部分もあるかもしれませんが、却って、だからこそひとの精神の美しさが素朴に際立つ良いレポートになっていると思うのです。拙い文章ではありますが、ご一読下さい。
ps 名前は一応当ブログ上ですから「依田 小娘」と直しておきますね。どーしてもその名を知りたい方はその某大学(京都造形芸術大学)のHPをごらんください。そしたらわかります。(よだ せとうちげいじゅつさいにいってください すろうりぃ記す)    


瀬戸内レポート
                            依田 小娘(2回生)

 
 7月14〜17日にかけて瀬戸内にある大島という人口100人程の小さな島に行きました。この地域では瀬戸内にある7つの島が参加して、瀬戸内芸術祭というのを毎年開いています。今年は、大島も参加することになりました。そこで、田島征三さんの作品を大島に展示するということを聞き、お手伝いに行ってきました。
 
1、征三さんの作品を設置したこと、搬入について。
 大島における展示の責任者である原蜜さんを中心に、お手伝いで来ている方々、計6人で展示作業を行いました。作業を行った中で女性は私だけでした。力仕事は男性方が積極的にしてくださったので、私は力仕事以外に何かできることがないかとずっと探していました。これが、最初の壁でした。邪魔にならないようにあちこち動くにはどうしたらいいか?なにかを持っていくタイミングは、いつがいいんだろうか? これは片付けてもよいのか? こういう小さなことに気を配るようにしていました。それだけでも汗かくほど頭も体も使います。結果ちゃんとできていたかは分かりませんが、次にすべきことを推測しつつ動くということや、細かいところに意識を向けることの難しさを体験したと思います。
 征三さんの作品は机の上に設置する作品と、ワイヤーで吊るす作品等、合計4点ありました。ワイヤーで作品を吊るすために、その位置の計算を自ら買って出てしまいました。多分できると思ったのです。しかし、計算は思ったより複雑で、自分でわけがわからなくなる始末でした。でも、一緒に仕事をしたみなさんがすごく優しくて、じっと待っていてくださったり、一緒に計算してくださったのでなんとかできました。搬入のリーダーの方に「この数字が一カ所でも間違えてたら全部ダメになるからな〜笑」と言われて、すごく不安だったのですが、全部ダメになることもなく展示し終わって安心しました。
 搬入や展示をする時は、このリーダーの方が先頭になって働きながら的確な指示を出してくださったので、みんな自然にこの方についていくという感じで、作業は最初から最後までスムーズにできたように思います。この方のリーダーシップ、頭の回転の早さ、何か足りなかったりつまづいた時の発想や提案、コミュニケーションの上手な取り方を見ていて、こういう人が現場に一人いるだけでこんなにまとまるんだと思いました。初めて会った6人が手際よくそれぞれの仕事を見つけ、展示ができた。素直に「すごい!」と思いました。
 
2、出会った人々、もの
 展示が終わってから征三さんや、瀬戸内芸術祭の総合ディレクターの北川フラムさんや名古屋造形大学の高橋伸行先生、それから住人の方々も合わせて50人近くで食事会を開きました。住人の方々は高齢の方が多く、そのほとんどの方が身体に障害をもっているようで、お医者さん、看護婦さんも大勢いました。食事会が始まり北川さんや征三さんや他の方が話すのを聞いて、一緒の場にいる身体に障害を持っているように見える方たちは、ハンセン病の患者さんだということをやっと知りました。この島にハンセン病の病院か廃墟になった病院があるようなことは聞いてはいましたが、今この場に一緒にいる方たちが患者さんなんだと気づいたとき、少し恐怖心もうまれました。恐怖心を抱いたのは私に知識も経験もなかったからだと思います。
 大島に「ギャラリー15」という所があります。そこの前に解剖台が置いてありました。この解剖台は50年以上前に海に捨てられ、深いところに沈んでいたものが、最近になって浜辺に顔を出したのでひきあげられたということです。亡くなったハンセン病患者さんはこの台の上で解剖されていたのです。高橋先生を中心に、修復作業を行っていく予定だそうです。解剖台に近づくと、海藻の腐ったような独特な臭いがしました。その上をハエが10匹くらい飛んでいました。その臭いとハエによって、この台が使われていた頃のことをリアルに連想させられました。人が解剖されるということは、キレイごとではない。そう思ったとき、思わず目をつぶってしまいました。
 長さは160〜70くらい、高さは100センチ程の、コンクリート製のそれは、石臼のようにどっしり重い印象でした。でも、よく見るとコンクリートは古くなり、珊瑚のように穴があき、さらによくみると、その肌には地層のように色や穴のあき方が違う層がいくつにも重なっていて、そして苔が生えていました。そんなふうに解剖台をじっと見ていたとき、後ろから声がしました。びっくりして振り返ると、ハンセン病を患っていらしたおじいさんが立っていました。解剖台が使われていた頃の話、海でこの解剖台が見つかった時の話、ひきあげた時の話、そしてこの島に外から人が来るということについてなど、おじいさんはいろんな話をして下さいました。話し方はとても力強く、声も大きく、はきはきとして、でも質問には丁寧に答えて下さったそのおじいさんは、とても優しく、かっこいい人でした。ハンセン病とは、菌のために皮膚がとけたようになってしまう病気です。このおじいさんも、瞼や頬が垂れ下がったようになっていました。私は最初、どこを見て話したらいいか分かりませんでした。でもおじいさんはまっすぐ私の目を見て話をしてくれました。おじいさんと話していくうちに、目を見ること、顔を見ることになんの抵抗もなくなりました。でも、おじいさんは、見られることについてどう思っているんだろうかと考えてしまいました。同時に、そんなことよりも、目を見て話すことを大事にするおじいさんだとしたら、私はこのおじいさんの真の強さには到底敵わないと思いました。
 帰る時間になり、おじいさんに「ありがとうございました」と声をかけると、「また来なさい」と笑顔で言ってくださいました。でもその時だけ、おじいさんはそっぽを向いていました。その場を離れながらおじいさんに手をふると、私のほうに体半分だけを向けて手を振りかえしてくださいました。
 その後に納骨堂に行きました。食事会で患者さん代表の方が、「島で一番海や空がキレイに見えるところに、納骨堂と“風の舞”というオブジェを建てた」と話されていたのです。納骨堂に手を合わせて後ろにまわると、遠くの島までよく見え、太陽の光が海に反射して、光が橋のようにまっすぐ彼方までのびていました。空も一面に広がっていました。
 
3、大島とハンセン病
 大島には日本中のハンセン病患者さんが強制収容されていました。大島から出ることも禁じられ、子供を産むことも禁じられ、外部と接触することはもちろん禁じられていたそうです。14年前にやっと大島から出ることが認められました。患者さん代表の方は、「収容されていた50年間は、短かったようで長かった」と、ポツンと言われました。みなさんは、この島から出ることも許されずに亡くなった方たちの、せめて魂だけでも自由になってほしいという気持ちをこめて、空や海が一番きれいにみえるところに納骨堂を建てたそうです。死んだ後くらい、家族のもとに帰れますようにと、祈りを込めて。
 納骨堂に手を合わせて、その美しい景色を見ているとき、マザー・テレサのことが頭に浮かびました。今年、生誕100周年になるマザー・テレサは40歳代の頃、つまり今から60年も前にハンセン病患者さんに触れて看病した人です。まわりから何を言われても看病し続け、ハンセン病は不治の病でもないし、伝染力も非常に低いということを身をもって証明した人物でした。日本では、患者さんが自由にこの島を出入りできるようになったのはたった14年前のことです。マザー・テレサの訴えは、日本には全然届いていなかったのだろうか。そう思うと、辛く悲しい気持ちでいっぱいになりました。彼女の声をもっと聞いていたら、彼女が日本にいたならば、ひょっとしたらもっと早く自由になれたかもしれない。そう思うと悔しくて仕方がありません。
 しかし、今でも100人近い患者さんや患っていた方達が大島に住んでいます。なぜだろう、と考えました。家族がもういない、あるいは帰る場所がないのかもしれません。大島から外に出た時にどう受け止められるのか怖いし、不安なのかもしれません。同じ病気をもつ人たちや、亡くなった人たちの魂があると思うと、ここはそういう人たちにとってひとつの安心できる場所になったのかもしれません。法律では自由に行き来できるようになったけれど、世間の理解は決して充分ではありません。実際に私も、感染力は低いとわかっていても、みなさんとお会いしたときにが恐怖を感じてしまいました。患者さんたちの平均年齢は、80歳。私は改めて自分の耳でみなさんからお話しを聞けたことの大切さ、そして差別の歴史があったことを忘れないことや人とつながることの大切さを感じました。今まだ元気に生きていらっしゃる患者さんや回復された方たちがここにいらっしゃるうちに、もっともっと話を聞いておかなければならないと確信しました。

4、征三さんへの疑問、想像
 この場所に征三さんが作品を展示すると決めたことについては、北川さんが「大島に関わってくれ」と征三さんに頼んだということ以外、詳しくは伺わなかったのですが、この島を後にした今、もっと聞きたいと思いました。征三さんの作品の多くは、自然や人間と動物や、弱い者が力強く生きて行くということを題材にしています。また、アウトサイダーアートに関わる第一人者とも言える方です。その征三さんは常に、「権力や上下関係は好きでない
とおっしゃいます。人であっても生き物や植物であっても、命ある全てのものとものの間に壁を作らない人です。作品すらも、「一緒に作っていきましょう」と常々おっしゃっています。
 征三さんは、自分の作る作品がどのようになっていってほしいと思いながら活動をしているのかな。アートとはどういうものだとおもっていらっしゃるのかな?今回の大島での作品設置に関して、もっと征三さんの想いを聞いておけば良かったと後悔しています。

5、私なりの向き合い方 
 帰りの船では、遠ざかる大島をずっと見ていました。納骨堂が小さく頭を出していました。森の中からそっとこっちを見るように頭を出していました。納骨堂から見る景色は美しく、雄大であったのに、海から見た納骨堂は小さく、まるで森の中に隠れているようにみえました。納骨堂は外から眺めるために作られたわけではなく、そこに実際に行って、そこからしかみえない海を、自然を見るために建てられた秘密の場所のような所だと思いました。
 私は、もう一度、大島に行こうと思います。今回体験したことを忘れないためにも、私が感じたことや考えたことが何だったのかを再度確認するためにも、一度京都に戻っていろいろなことを学んで、考えて、そしてもう一度納骨堂からの景色を見に戻ってきます。そして、話をしてくださったおじいさんや、他の島の人たちとまたお会いしたいです。
 実のところ、帰りの船では自分自身混乱してしまい、同時に気分が沈んでしまったため「私は、またここに来るのかなぁ、もう来ないかもしれない」と漠然と思っていました。ところが、高松で下船するときになって、大島に洋服を忘れたことに気づきました。「あ、また行かなきゃ」と、そのときに思いました。洋服を忘れたおかげで、やっぱりまた行きたいと思う気持ちを確認できました。何か私のなかで心残りがあるということも。
 今回、大島で田島征三さんの展示をお手伝いするという経験をとおして、様々なことを学びました。まず、搬入や展示の現場の大変さや難しさ。それをやり抜くためにはどんな知識や能力が必要なのかということ。そしてどんなときにでも、人の話を自分の耳で聞くことの大切さ。歴史の重さと、それを語り続けることの大切さ。今回、行って良かった。初めての人や、初めての話や、初めての仕事や、初めての場所に出会えた。この貴重な体験を契機に、自分がしなければいけないこと、伝えなければいけないことを、改めて考えて、そして動いてみようと思います。
 

(補足)
 島にいる途中から思っていたのですが、自分がいる土地の形が分かることはすごいことだと感じました。私の故郷である長野の形も把握していないし、日本の姿すらも実感として感じたことがありません。この小さな島にきて初めて、自分のいる土地の形や大きさや土を、体で感じられたことにとても感動しました。
 このレポートは、この島での出来事や感じた想いをもっと的確な日本語で話したいのになぜか言葉が軽くなってしまう、すごくもどかしく思いながら書きました。本気で伝えたいことを書きたいレポートなのに、満足のいく言葉で書ききれていないというのは本当に悔しいです。
| 2010.07.28 Wednesday | 学生の活動レポート | 投稿者:michi |

by satoyama-06 | 2010-07-29 21:42
2010年 07月 26日

ビートルズ記念ライブ

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昨晩のビートルズ記念ライブの一こまです。今回の絵画展の本人が熱唱しています。
こちら信州東信地方では昨夕は酷い雷雨に見舞われまして、折角屋外展示の迫力ある繪をご覧頂きながらビートルズをた〜っぷりお楽しみいただくという企画こそふいになりましたが、狭いながらも楽しい何とかと言いますね、ステージ・客席一体になって盛り上がりました。それにやはり柏木正二さんの繪を拝見しながらのライブという点では同じになりましたしね。
しかもステージ中央の繪は、この画家さんが親炙していた神父さん兼保育園長さんを描いた繪でした。惜しくも今年一月にお亡くなりになったそうですが、今回の作品展をしようと決心する謂れになった方だそうです。
出演メンバーも、長年の友人の「元イエロー・サブマリン・スーパー・デラックスバンド」のドラマーさん、また上田を中心に活動していらっしゃるビートルズのコピーバンドの「サンダーバーズ」さんでした。さらにはステージ後の懇親会兼アフターステージもこれまたこう笑と感動の連続!ビートルズ三昧の贅沢な夜は更けていくのでした。(よだ ぷりーずぷりーずみー  すろうりぃ記す) 

by satoyama-06 | 2010-07-26 22:36
2010年 07月 24日

ロバとネムノキ

ロバ使いのすろうりぃが右向けと命じますと右に向き、
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左向けと命じますと、左に歩き・・・
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とか言うとすごいですね。
よおくご覧下さい。ネムノキが二本。奥が親の木で、手前側が子どもです。
今年はどうもネムノキの当たりの年のようで、濃い、淡いピンクが山によく
目立ちます。暑中に糸を集めたような涼しげに風に揺れながら咲く花びらを
見るのは、もうそれだけで納涼の思いです。
でも考えてみますと、不思議ですね。だって真夏のどうしようもなく暑い時期には、
涼しげな花を咲かせる樹木が多いですよ。(よだ みぎむけ〜・・・ すろうりぃ記す)   

by satoyama-06 | 2010-07-24 00:08 | あにまるず
2010年 07月 22日

オオムラサキ・番(つがい)

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美しい番(つがい)の姿です。ひとは、こんな美しい姿を昆虫からも學びなおしますね、ときとして。(よだ ふたつでひとつ すろうりぃ記す)

by satoyama-06 | 2010-07-22 22:20 | 風光土
2010年 07月 21日

何でたった二ヶ月?

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先日のまだ梅雨末期の毎日激しく雨が降り続く中、ややもすれば気も滅入ってきますし、たまたま(と言っておきますね、えへへ。)お客様もいらっしゃらなかったので、割れたままになっていた素焼きの陶板の補修をしました。
これはおそらく今から十年以上も前、「縄文土器を焼こう」というイベントの際焼いた一つです。結果として身内を持ち上げるようなかっこになってしまって恐縮なのですが、私のお気に入りの一つで、当時のうちの小学生女子が作ったものです。
このちょっと賢治テイストな文面のおかしみと不思議さ。それに加えて真ん中のなにやらきのこ状のもの。優しい素焼きの肌合い。一見説明的と思わせる文章を陶板に書き込みながらその面白みを楽しむやり方ってのもあるんだなあとこどもの発想に教えられます。それにしても何で五歳以上五歳二ヶ月まででなきゃダメなの?思うだけ無駄とは知りながら、この陶板を見るたびついつい自問してしまいます。(よだ 「ごじゅさいいじょうごじゅうにさいまで」とかいうのはあり? すろうりぃ記す)

by satoyama-06 | 2010-07-21 23:22 | 遊び
2010年 07月 20日

繪画の屋外展示

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現在、古くからの友人柏木正二さん(信州佐久市在住)の作品展『RINNE」、開催中です。
その展示会ですが、どくしょ森初のことですが、繪画の屋外展示を行っています。{但し先週末と今週末(7月24,25日)}の展示です。
この屋外展示の企画をご本人から提示して頂いたとき、ちょっとイメージが出来なかったものですから、とりあえず、どうぞご自由に会場をお使い下さいとしか申し上げられなかったのですが、実際に茨海小學校跡地の林間と野原に大きな抽象画を展示して頂きますと、いやその見慣れた空間の表情の変り様!一番驚いたのはすろうりぃ本人だったかもしれません。こんな茨海小學校の表情は見た事ありませんでした。
私たちが普段見ている風景は実は天然と人為の合わさっている光景であるというのは、わたくしの持論なんですが、その独立性の高い繪画作品が屋外に投げ出されたとき、こんなに両者が生き生きするものなのだとは初めて知りました。もちろん、「ももも」の部屋での屋内展示もリリカルで、思い出深いような展示になっていますから、屋内外併せてご覧下さいね。
屋外には今週末にもう一度展示され、その日曜日25日の夕べ(午後六時半〜)にはその屋外展示をご覧頂きながら、ご本人とサンダーバーズさんによるビートルズ記念コンサートがあります。この両者、ビートルズを長年こよなく愛し、コピーし、演奏してきた方々です。その年季入りの大人のビートルズの本格的味わい、どうぞご一緒に楽しみしょう。(な、なんと無料なんだ!)(よだ まなつのしゅうまつ すろうりぃ記す)  

by satoyama-06 | 2010-07-20 11:28
2010年 07月 18日

せとうち!

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すろうりぃさんがなんともGoodタイミングな記事をかいてびっくりしている小娘です。

3日程前から香川にきています。瀬戸内芸術祭のお手伝いと観光に(^ω^)

なんのお手伝いかと言えば大島という島に田島征三さんの作品を展示するお手伝いです。

本来ならばスタッフしかやれぬ仕事に加わらせて頂きました。


大島について。
昔ハンセン病が不治の病とされていた頃、日本中のハンセン病患者は大島に収容されました。
今でも100人近くの患者さんが住んでいます。

最近大島の浜辺に50年の間海に眠っていた解剖台が最近発見されました。誰でも見ることができるように置いてありました。

ハンセン病患者さんが亡くなるとこの台の上で解剖されたそうです。

最近の手術台のようなイメージとは違ってコンクリートでできていてずっしりしていました。

日本では14年前にやっと大島から患者さんが出ることが許されました。

そしてすろうりぃさんの記事にもかいてあったマザーテレサのお話しをします。
彼女はもう若い時にハンセン病はうつらないと知っていました。病原体のことを知っていたわけではないけどうつらないことは身をもって分かっていました。

彼女がそのことに気付いてから何十年たつことでしょうか。


今、ハンセン病患者さんたちとお話しができたりご飯を一緒に食べたりできる日本になって、やっとだ。と思いました。
あるハンセン病患者さんと島の話しや病気についてお話しをしましたが、すごく優しくて話し方は力強くてかっこいいおじさんでした。

芸術祭のガイドブックにはハンセン病のことは少しはかいてありますが、解剖台はガイドブックにはのっていません。征三さんの作品も。実際に行って自分の足や口で作品や歴史をみることが大切なんだと思いました。

そんなこんなで
このような記事をかこうとしたらすろうりぃさんが2つ前の記事で沖さんとマザーテレサのことをかいたので、おぉ!と思った次第です(笑)


ちなみに次の日は女木島に行ってきました。桃太郎さんの鬼ヶ島と言われている島です。

瀬戸内芸術祭は予想以上に沢山の人の力でできていました。行く予定のない方もガイドブックを見るだけで楽しいしわくわくします。
宣伝じゃないですよ笑

本当に楽しいです。


久しぶりに小娘でした。

by satoyama-06 | 2010-07-18 13:14
2010年 07月 16日

『汗かくヘーゲル』

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ああ、皆さんの反応が今から見えるようですが、ようやく半年近くをかけて讀んできたヘーゲルの『精神現象学』を読了致しました。こんなご報告を致しましてもせめて上々の評価が、「暑苦しい」、好意をまったく期待しなければ、ただ敬遠・黙殺あるのみ、というくらいでしょうか。
ひとの精神の、信じられないくらいの進展の歴史をば、自ら体験しつつ壮大なパノラマで拝見させていただくという旅路だったように思います。目の眩むような大旅行です。ただし、その人類史上でも希有な旅路の大部分が五里霧中のなかにありました。あ〜あ!ムリありません。訳者自身でさえ、後書きで「悪戦苦闘は重々承知の上だったが、実際にペンを握って日本語にする作業にする作業にとりかかってみると、その大変さは予想をうわまわった。『精神現象学』のドイツ語原文は、ただ読みすすむというだけでも、難文、悪文、拙文、不文、その他、何とでも悪口を言いたくなるような代物だが、いざ翻訳しようとそれに立ち向かっても、おいそれと日本語になってくれない。」(同書長谷川宏訳 作品社刊)訳者自らそうおっしゃって頂きますと、分らないのは自分一人じゃないと、安心もします。
じゃあ、なんでそんなひどい苦労を買って出るんだ!?という話にもなりますが、結局、そういうところに首を突っ込んでいきたいんですね、なんにも分らなくっても、何かを求めて。すろうりぃのライフワークのタイトルも以前から決まっているのですが、名付けて『汗かくヘーゲル』。さて、どんな書物になるんでしょうか。それも五里霧中です。
性懲りせず、これからしばらく解説書などで力を蓄えたあとで、今度はやはりヘーゲルの『美學概論』全三巻に挑戦しようと思ってます!でも買いそろえるだけでも相当経済的に負担なんですよねえ。同じ道も朋あればまた楽し。どなたかご一緒に讀みましょ。(よだ あせかくとも すろうりぃ記す) 

by satoyama-06 | 2010-07-16 23:50 | 読書・書籍
2010年 07月 15日

『マザー・テレサーあふれる愛ー』

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本日、敬愛する沖 守弘さんから郵便物が届き、胸をときめかせながら開封してみますと、新刊の御本でした。『マザー・テレサーあふれる愛ー』(講談社刊「青い鳥文庫」)。
因に沖 守弘さんは日本に初めてマザー・テレサとその修道会の活動を写真集で紹介した写真家で、その後もずっとその修道会のために陰に陽に活動を支援されてきた方です。
さて、その御本ですが、二十年近く前すでに単行本で発行され、その後も同じ内容をこどもさんにも読めるようにと児童書として出されたり、学習漫画版としてもロングランを重ねてきたご本です。それが今回は同社の青い鳥文庫の一冊として、こどもやご年配の方にも広く読んで頂こうという願いで、文字組を大きくし、ルビもふって、出版されたそうです。
私達も、今までいったいこの御本をどのくらいたくさんの皆さんにご紹介して来たことでしょうか。
個人的なことを一言申し上げますと、この御本の学習漫画版を当時のうちの小学生女子が読んで感動し、感想文を書きますとたまたま賞も頂きました。また守さんに、うちでマザーの写真展と講演会をしてくださいと、だめもとで親子で一所懸命お手紙を書きましたらその願いがかないました。(これをどくしょ森ではいまだに三大奇跡の一つに数えています。)それもこれもマザーと沖さんのお蔭です。
さてこの御本、もちろん掛け値なしに申し上げますが、現代の名著の一つです。どうぞ皆さん同書を「青い鳥文庫」の新刊でお求めになり、お読み下さい。そしたら、すろうりぃがこうやって熱心にお薦めする気持ちと願いもご納得頂けるはずです!
そうそう、忘れないうちにもう一言。今年はマザー生誕百年の年です!(よだ 「あいのわざはへいわのわざ」 すろうりぃ記す)

by satoyama-06 | 2010-07-15 23:21 | 人物