田圃も皆脱穀まで終わり、藁束まで片づけて冬打ち(ふゆぶちー来年の耕作のために田畑を稲刈り・脱穀後に耕しておくこと。)を済ませた田圃あり、そのまま来春を迎える田圃ありと、まちまちですが、いずれにいたしましても、安堵の思いが伝わってくる風情です。
藁の片づけ、始末もそれぞれですが、野良の仕事にもリズムがあります。藁束をば列をなして積んだ田圃に、遙かなる彼方から飛んできた朝の光が当たってそのいちいちの三角が影を曳いています。この風光土を美しいと観じるひとの思いもまた、先も知れぬはるか彼方より指し来たものなのか。晩秋の風光土は人をして他の季節より何やら取り留めない思索的な思いに駆り立てます。(よだ たんぼのりずむはなんびょうし? すろうりぃ記す)