小諸 里山の愉しみ

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2009年 12月 17日

いまだ知らず

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スペシャルドラマ『坂の上の雲』、いよいよ始まりましたね。キャスト陣だけを見ても、超の字をつけてもいい豪華俳優陣ですし、各アクターの気合いの入り方もびんびん伝わって来る熱演です。
さて、原作についてです。司馬遼太郎は確かそのあと書きのいくつめかの中で、これをば小説と言えるかどうかは疑わしいという趣旨のことを書いていましたが、確かにわたくしもそう感じました。
これは小説ではない。小説以上のものである!と。
思い起こしますと、戦争を題材にした傑作の小説は世に多いと思うのですが、例えば、トルストイの『戦争と平和』、同じく露西亜(時代的にはソ連時代)のショーロホフの『静かなるドン』。特に前者などは戦争に関わるエートス論などに論じ及んで、小説の枠を超えている部分はありますが、基本的にどこからどう見ても堂々たるしかも非の打ち所がない完璧な小説です。しかしこの『坂の上の雲』は、違います。ぜんぜん違う!この作品を作る時すでに、小説の枠は破綻させざるをえないことは、当然ながら、この作家自らが承知していた事だと思うのです。明治という時代とその時代に生きた人たちを書くとなると、もはや小説という枠は足かせに近かったかも知れません。ですから、実は私たちはこの作品のタイトルこそ知っていますが、その呼び名をいまだに知らないと言えるのかも知れません。わたくしが司馬遼太郎を作家と呼ばず、人文学者と呼びたいゆえんです。
『坂の上の雲』について、いろいろ思ったことども・感じたことなど書き連ねていきたい衝動に駆られますが、まあ、その全部をやめて、やはりその「あと書き」で知ったことだけを申し上げておきます。
この人文學者は特に日露戦争に関わる資料の塊集とその閲覧、分析評価などに数年、執筆に数年、計十年を費やしたそうです。しかももっとも盛んな四十台の十年です。評価好悪ひとそれぞれでしょうが、少なくとも現代日本における知的遺産の一つであることは間違いないでしょうね。(よだ りょうたろうのおか すろうりい)

by satoyama-06 | 2009-12-17 22:37 | 読書・書籍


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